2歳児も82歳も同じ

2歳児も82歳も同じ

幼児や学童、学生に青年に社会人、成年、中年、高齢者などと分けたりしますし、便宜上必要なのは理解できるのですが、年齢を問題視しすぎなのでは、と感じる事が多々あり、もしも多くの人がそう思っていないのなら、その点に於いて私は明かなマイノリティであると言えるのでしょう。

天文学的に考えて、一年経たタンパク質も90年経たタンパク質も対して違いはないじゃないか、というような乱暴な事ではなく、人は生まれながらにして性格や趣向があり、その出力に長けているかいないかだけの違いに過ぎないだろう、と思うからです。

例えば、言葉を喋るのが遅かった2歳男児が何も考えていないはずはない、というのは人によっては異なる考えを持ちそうですが、突然の事故でチューブに繋がれ声を発する事の困難な青年に意識があるに違いないのは誰しも考えることではないでしょうか。

特別に年齢を条件にいれず、人である以上に同等に意思を持つ者であるとして自分自身と相手を扱うという、ただそれだけの事で、不愉快な出来事がなくなる、というよりも、世間はもっと愉快になるのではないだろうか、と思います。

皆が、愉快な方がいいに違いないと思っているとすること自体が間違いだとするとまたややこしいのですが、自分が主観的に美しいと感じる事柄を信じて実行する以外に、生きていてすることなどあるのでしょうか。

強い女性は好きですか?ダブルバインドからみる日本の文化

久しぶりに会った女友達とアメリカ人パートナーのやりとりを聞いていて、やはり、海外に住む女性は意思が強いな…と感じる。

意思が強いという表現があっているのだろうか…

自分の意見を持っているというか、それをはっきりと主張することを躊躇しないというか…。

パートナーの方も、それをよしとしている感じがあって、対等なやりとり(いや、、彼女の方が幾分か強いかなw)を聞いていると、サバサバしていて、スッキリ爽快な印象を受ける。

でも、これは、私の見解で、やっぱり日本男児からしたら、この強さは、引いてしまうんだろうな。

私は、こういうサバサバした方が、何を考えてるかわかり易くて楽だし、気楽でいいんですがね。

言葉では「いいよ。気にしないで。OK」と言っているけど、顔の表情や雰囲気は、どよーーんと不満そうで、「あれ??」って思うことありますよね。

そういうのをダブルバインドっていうんですって。ダブルバインドは、直訳すると二重拘束という意味で、恋愛とかでもよく使われれるテクニックなんですよね。イエス、ノーをはっきり言わせたくないときに使う。言葉の裏を表情とかに含ませる方法。

言葉で「いいよ」と言っていても、顔は悲しそうだったり困っていたり・・

YESもNOも含まれている。「空気をよむ」ことがいいこととされる最近の世の中では「KY」とかいう言葉がはやったりもしたけど、海外にいくとそういうのってないんですよね。日本の独特の文化なんじゃないかな。って思うんです。

いやなものは、はっきりと断る。主張する。ってすごくシンプルで計算がなくていいなと思うんですけどね。やっぱり日本では強すぎる表現に感じられてしまうこともあるんでしょうね。帰国子女がきついといわれるのはこういう文化の違いから来ているんじゃないかな。と思いました。

新たな資格を取りました!!!

世の中には色々な資格がありますよね。

特定の分野でどれくらいの知識があるのかを判定するものや、仕事に必要なものまで、本当に多種多様な資格が存在しています。資格によっては講義を受講するだけのものもあったり、テストを受けないと取得できないものもあったりします。1人でいくつもの資格を取得できるので、中には数十個も保有している資格マニアと呼ばれる人達もいます。

ところで、私は今まで資格が1つしかありませんでした。

それは、自動車免許です。

きっと大多数の方がもっておられる資格ですね。しかしこの歳になって、新たにもう1つ資格を取ることができました。その資格とは、サッカーの4級審判員の資格です。

私は社会人サッカーチームに入っているのですが、他チームの同士の試合で審判をしなければいけない事があります。そのため、チーム内に数名の4級審判員の資格保有者が必要なのです。

元々サッカーのルールは熟知している方だと思うので、今回私が審判の資格を取ったというわけです。

4級審判員の資格を取るのは簡単でした。

とある日曜日に会議室に集められ、ルールブックを渡されて、ビデオを見ながらそれを確認していくだけです。時間にして3時間程度だったでしょうか。地域によっては簡単な実技もあるらしいのですが、私の地域では講義だけでした。

先日審判証も郵送されてきて、晴れてこれで資格保有数が2つになりました。